どうして神様は地震を起こすのか?その5 [どうして神様は地震を起こすのか?]
魂には、あの世に、魂の家族がいるそうです。私の勝手な考えでは、500万年前に猿人が直立二足歩行を始めた頃に、魂が誕生したと思うのです。それから、人類が進歩するのと同じように、魂も輪廻転生を繰り返しながら学んだり修行したりしてきました。だから、魂の家族は長い歴史のある家族なのです。
ところで、魂にとってこの世は肉体を持って色んな体験をするための場所なのであり、本拠地というか魂が普段生活している空間は、人間があの世と言っているところなのです。つまり、この世は単なる道場なのです。
だから、魂がこの世に修行に出発する時には「じゃあ、今回はあっちで貧しさとお金について勉強してきます。行って来ます」のような挨拶をする訳です。逆に修行を終えて、あの世に帰ったら「お帰りなさい。お疲れさんでしたね、充実した修行は出来た?」と迎えてもらえます。あの世で待っていた魂の家族たちは積もる話を聞きたくて、皆が集まっていることでしょう。
人がこの世で命を終えるということは、その魂にとっては今回の修行が終ったということであり、家族の待つ家に帰る事が出来る嬉しいことなのです。
でも、若くして死んでしまっ人の魂は、この世に未練があるのではないかという疑問があるでしょう。愛する家族をこの世に残したままの状態とか、志半ばだったとか、未だ若かったのにとか。その疑問に対して考えてみました。
魂は、輪廻転生を何十回も何百回もすると思います。でも、その全ての生涯を平均寿命までは生きられないのだと思うのです。ここに(あの世です)、もうすぐこの世に生まれることになって準備をしている魂がいるとします。あの世の役所の新生課に計画書を提出します。ところが、係りの魂に「あなたは、前回まで10回連続で70歳以上生きてますねえ。だから、今回は『早死に』をお願いします」と言われてしまったのです。その魂は、仕方がないので計画を変更して早く死んでしまうことを前提にプランを練りなおすことにしました。
この世の家族は、色んな計画を持った魂が集まって一緒に生活しているのです。そして、お互いに自分の修行のためには、好都合な組み合わせになっています。それは、生まれる前の魂が自分の両親を選んで生まれてくるからです。
どうして神様は地震を起こすのか?
どうして神様は、いとも簡単に命を奪うのか?
それは、魂には永遠の命があるから。そして、魂たちが色んな形で関係し協力して学ぼうとしていることを知っているから。
『私のお墓の前で泣かないでください』という歌詞が印象的な「千の風になって」という曲があります。このブログの[信仰と宗教について その4]で、この曲について書いていますので、良ければ読んでみて下さい。