アメリカ先住民の生き方 [信仰と宗教について]
私がスピリチュアルの本を色々読んでいると、アメリカの先住民の人々の生き方や考え方がスピリチュアルに似ている事を知るようになりました。そこで、インディアンの言葉が書かれている本を何冊か読んでみると、白人に追い立てられる前は、きっと素晴しい生活を送っていたのだろうと想像させる内容が書かれていました。
魂の存在を信じ、先祖からの教えを守りながら大自然の中で暮らします。必要な分だけの狩猟や食物の採取をし、大地や太陽に感謝して生きていました。家族や部族を大事にして素朴で幸せな生活だったことだと思います。
そこに、白人がやって来たのです。その後の悲劇は、皆さん御存知でしょう。少し長いですが ホピ族の長老が宣教師に語った言葉 を紹介します。
白人の目には、わしらが馬鹿みたいに映っているかも知れない。わしらがあんまりにも単純だからだ。わしらは偉大な母である大地によりそって暮らしている。わしらは、あなたがあなたの神を信じているように、わしらの神を信じている。しかも、わしらの神はわしらにとっては最高だということも、信じている。わしらの神はわしらに話しかけ、なにをなすべきかを教えてくれる。わしらの神は、雨雲や太陽やトウモロコシなど、生活に必要なものをなんでもくれる。わしらの神は、あなたの神のことを聞くはるか以前から、こうしたものを与えてくれていたのだ。
もし、あなたの神がそんなにも偉大ならば、わしらの神がそうやっているように、白人の口からじゃなく、直接わしらの心に話し掛けてほしい。あなたの神は冷酷で、けっして全能なんかじゃない。なぜなら、あなたはいつも悪魔のことや、人が死後に行く地獄の話ばかりをしているからだ。わしらの神は全能だし、まったく善良だ。悪魔なんていないし、わしらが死後に行く霊の世界には、地獄などない。いやいや、わしは改宗なんかしないことにする。わしは自分の神と自分の宗教についていくことにするよ。あなたの宗教よりも、わしの宗教のほうが、ずっと幸せになれそうだからな。
それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム
- 作者:
- 出版社/メーカー: めるくまーる
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
信仰と宗教について その4 [信仰と宗教について]
数年前「千の風になって」という曲が秋川雅史さんという歌手が歌ってヒットしたのを御存知でしょうか?その歌詞の一部を書き出してみます。
私のお墓の前で泣かないで下さい
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に千の風になって
おの大きな空を吹き渡っています
秋には光になって畑にふりそそぐ
冬にはダイヤのようにきらめく雪になる
朝は鳥になってあなたを目覚めさせる
夜は星になってあなたを見守る
この曲を始めて聴いた頃は、ちょうど私がスピリチュアルに関心をもって間もない時だったので、日本人の可笑しい習慣に気付く人が少しでも居ればいいなあと思ったのを覚えています。
私が思う日本人の可笑しな習慣とは、亡くなった人の霊がお墓の中に居ると思うことです。本当は「千の風になって」の歌詞のように魂は自由に動き回っていることでしょう。
お経も変ですよね。お経を聞いていても意味が分からないですから。読経が始まると魂もきっと退屈して、その場に集まっている人の顔を観察でもして回っているかも知れません。
大事なのは心や気持ちです。亡くなった人に対しての感謝の気持ちや魂としての更なる向上を願う気持ちが大切だと思います。安らかに眠って下さいというのは違います。♪ 眠ってなんか居ません ♪
スピリチュアルの理解が進んでいくと、いろんな事が見えてきます。
無駄なことを止めたり、新しいことを始めたり、自分を変えるのは簡単です。自分を変えようと思った時に変わり始めているのですからね。
信仰と宗教について その3 [信仰と宗教について]
今回は日本の宗教についてです。今回もウィキペディアを参考にさせていただきます。
日本人の多くが正月に神社に初詣に行きます。お彼岸やお盆の頃にはお墓参りや先祖供養の儀式を行い、十二月になるとクリスマスツリーを飾る家がたくさん有るようです。神棚と仏壇の両方共有るという家も珍しくないですね。
文部科学省の調査では、神道系1億700万人、仏教系8900万人、キリスト教系300万人、その他が1000万人の信者が居るそうです。何かの宗教の信者では無い人も居るはずなのに合計すると2億900万人になり総人口の二倍弱になりますが、これは各団体が多めの数字を発表したことが原因です。
現代の日本人の信仰の実態は、特定の宗教の信者という人は少なくて無神論者や親に教えられた宗教観をなんとなく自分も引き継いでいるだけという人が多いのではないでしょうか。さっきの数字が示すとおり神道系とも仏教系とも区別し難い人が大勢居るのでしょう。一つの宗教を熱心に信仰している外国人から見ると理解し難いかも知れません。
でも、このような状態になった理由は歴史を見れば分かってきます。まず、日本には古来からの民俗信仰の基盤の上に年中行事や祭礼などが人々の中に根付いていました。そこに、仏教が伝わりその後、鎌倉時代には日本中に広まりました。そして、江戸時代に行われた寺請制度により檀家になることを義務付けられたのです。神仏習合というそうですが、神道系の考えと仏教系の教えの両方を合わせて一つの宗教観と捉えるのです。つまり、それぞれの機能や役割などを分担している訳です。両者が上手く混ざり合ったのですね。
バレンタインデーに彼に渡すチョコレートを仏壇に供えてから渡し、彼からの良い返事を神様に祈って待つなんて普通ですよね。
信仰と宗教について その2 [信仰と宗教について]
自然崇拝から多神教への流れを〔信仰と宗教について その1〕で簡単に書きましたが、今回は世界の宗教の歴史と現在の状況を簡単に書こうと思います。
まず、世界じゅうで一番信者の数が多いのはキリスト教です。『世界宗教』の33%だそうです。紀元1世紀にユダヤ教の一宗派として生まれました。イエスがキリスト教の創始者かと思ったら違うのですね。
それで、元になっているユダヤ教ですがユダヤ人の民族宗教として紀元前13世紀に始まったようです。モーゼがエジプトから脱出する時に海の水が二つに別れ、その海底を歩いて渡るシーンが有名な映画「十戒」はこの頃のことを描いたものです。分類上は『世界宗教』では無く『民族宗教』になり何%とは表せません。
『世界宗教』で二番目に多いのがイスラム教です。22%となっています。西暦610年頃に預言者ムハンマドがアラビア半島で始めたとされています。ムハンマドは当初イスラム教をユダヤ教やキリスト教の延長として捉えていたそうです。
私の勝手な想像ではイエスもモーゼもムハンマドも後で出てくる釈迦も霊能者だったのだ思います。
そして三番目に信者が多いのはヒンドゥー教で15%です。バラモン教から聖典やカースト制を引き継ぎ、紀元前5~4世紀に顕在化したそうです。インドの八割強の人々が信仰している多神教です。
四番目は仏教で、世界宗教の6%です。紀元前5世紀頃ガンジス川中流域で釈迦が提唱しました。原始宗教をルーツに持っていません。東南アジアから日本へ6世紀に伝わりました。
以上 ウィキペディアを参考にさせていただきました。
スピリチュアルに目覚めた私としては、全ての魂が広い意味でのソウルメイトなのだから、宗教に拘らないで世界中の人が仲良くして欲しいと思っています。この世から宗教が無くなれば争いの元が減るのは確実でしょう。9.11の悲劇も起きなかったかも知れません。
信仰と宗教について その1 [信仰と宗教について]
その昔 ……どれ位昔かというと人類の文明らしきものが出来る前の話しです。 信仰の対象は自然そのものでした。
自然崇拝と呼ばれています。人間が自然の中で自然と一緒に暮らしていた頃ですから、自然の偉大さ 有り難さ 脅威等を肌身で感じていたことは想像し易いでしょう。どんなものが信仰の対象になっていたのでしょうか。
パワーのあるものが対象になっています。天空、大地、山、海……。
毎日見るものも。太陽、月、星……。
気象現象もパワフルです。雷、雨、風……。
身近にあるもの。森林、巨木、巨岩、川、泉……。
色々な動物もいました。熊、狼、鷲、蛇……。
その他にも色んなものが信仰の対象になりました。これらのものを畏れ、敬い、感謝したりする気持ちになるのは人間として自然なことだと思います。山岳信仰や御神木など現代にもこの頃の名残が残っていますね。現代の人々には失われつつある、こんな純粋な気持ちに憧れるのは私だけでしょうか。
そして 人々が集まって暮らし、文明が発達していくとシャーマニズムと呼ばれる信仰が発達したところも有ります。色んなものに霊魂が宿っていると思われるようになり、シャーマン・祈祷師が出現し、霊媒や預言者も出てきます。様々な儀式や祭りも行われます。そして政治や外交にも影響を及ぼすようになっていきます。きっとシャーマンは霊能者だったのでしょう。
シャーマニズムとは別に、色んな神も誕生します。人々の理解を超えるような出来事が起きた時、それを神の仕業と思っても不思議はありません。まあ 昔ですから雨が降る仕組みも科学的に解明されていないのですから、世の中が不思議だらけだったと思いますが……。
家族が集まり、更にまとまって部族となります。やがて民族となり国家のような大きな組織になった文明もあります。その課程のなかで先祖を崇拝したり神話が誕生したりすることもあったでしょう。そして、最初は口伝えで、文字が発明されてからもいろんな物語が出来、やがて多神教の信仰へと発達していきます。
人の想像力は無限です。昔の人は夜空の満天の星や、ぽっかりと浮かんだお月様を見て何を感じたことでしょう。今のように科学的に宇宙について解明されていない時に見たら どんな風に見えるのでしょうか。
人の創造力も無限です。嵐の夜 物凄い風の音に怯えたことでしょう。静かな夜には獣の叫び声に震えたかも知れません。春には一斉に花々が咲き乱れます。そんな時に人はどんな物語を創ったのでしょう。
こんな時代のことを空想していると大昔に戻って生活してみたくなってきました。
それが叶わぬないのなら、草原に仰向けになって、ぼんやりと夜空いっぱいの星を見てみたいなあ………。